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2006年1月

2007年問題をぶっ飛ばせ  管楽器(サクソホン)

著者: エイム研究所 矢野 弘

「情熱が五感をひっぱり全てを研ぎ澄まさせる」

<先輩(38才で経歴20年)>

●この仕事を始めたきっかけと当時の教えてもらい方

小学校のころからヤマハ吹奏楽団に入ってサクソホンを吹いていました。好きでそのまま会社に入り仕事になりました。入社当時(20年前)は叩き上げて叱って、たまにほめるという状況でした。だから直接教えてもらうというより技を盗むとか背中を見て覚えるウエートが高かった。

 

●教えてもらってるという期間と任されたと思った時期

教えてもらってると思ったのは5~6年ごろまで、というより後輩が入るまで一番下でした。任されたと思ったのはここ10年ぐらいでで、先輩から先輩の仕事をやってみろといわれたときです。それまでごく一部の工程しか担当させてもらえなかったが全て組立てたとき「自分が子供のころに吹いていた楽器をつくったんだな」という感激があった。

始めは何も知らないで喜びだけでやっていたときと、すいも甘いもいろいろ経験した後では「良いものをつくりたい」という気持ちがより強くなった。

 

●腕を上げる方法は何ですか

プロの演奏者に来てもらって目の前で希望通りに仕上げるということやって、直接評価を受けた。厳しかったが良い評価を頂いた時はものすごくうれしかった。それと昔10時間怒られたことがある。朝8時からずっとである。昔の人の方が情熱的で熱い人が多かった。とにかく楽器や音楽が好きで、怒るときもほめる時もすごかった。

 

競合する他社が多く追いかける側で、ナンバーワンにならなければならないという風土が職場にはあった。それが情熱になり腕を上げる源になっていると思う。

今は何年もかけて技が発揮できるようになるのではなく、個人個人の秘密であった勘コツをどれだけ解明してみんなができるように、さらにレベルアップするかが勝負になっていくと思う。

トランペット

<後輩(31歳で前後工程を含めて経歴約10年)>

●この仕事を始めたきっかけと当時の教えてもらい方

私もヤマハ吹奏楽団に13歳から所属していたのと楽器が好きだったので会社に入った。つくるのに興味を抱いたのは入社して6~7年で、初めは吹くのとつくるのとでは気持ちは別々であった。見て覚えろともいわれた。私の入ったころは教え方の分岐点で手順書を見て説明してもらっていきなり製品をつくった。初めでつくった時は楽器の一部分であって、全てでなかったのでお客さんが希望するものができているのかなと思った。しかし、一部分でもできるようになったのはとてもうれしかった。


「好きで始めたが、今はそれ以上のものを感じていて幸せである。」

●教えてもらってるという期間と任されたなと感じた時期
8カ月ぐらいは教えてもらっていた。任されたなとはまだ感じていないが最近ちょっとするかな。今の職場は最後の組立工程です。今まで前工程を体験してきて、それぞれの職場で先生がいた。組立ては全ての部品の出来ばえに影響されるので「いいものをつくりたい」と思う気持ちを前工程に伝えることが自分の役割の一つだと思っている。前工程をやっていた時は後工程のことを考え、またその逆もある。同じ言葉で話すことで情熱的な人間関係ができる。うまく伝わったときはとてもうれしくてやめられない。この職場は自分が選ばれたというより望んで来たし良かった。

トランペット2

トランペット3

2007年問題をぶっ飛ばせ 技術技能の伝承 ピアノの生産

著者: エイム研究所 矢野 弘

「相性の合った師弟関係+懇切丁寧な指導=伝承期間1/4

背景

団塊の世代が入社した当時はピアノは売れていたが、徐々に国内は減ってきたため製造現場への人材投入をひかえてきた。最近まで若い年代が少ない状態であった。そこで技能の伝承ということに取り組んでいる。

 

<先輩(58歳で経歴40年)>

●この仕事のきっかけと当時の教えられ方

ピアノはどんなものかなという興味と友達がヤマハにいくというのでいっしょに就職した。「あなたの職場はダンパー取り付けだよ」といわれて仕事についた。18歳の時かな。当時はアップライトのピアノを担当していたが、今は本社に戻りグランドピアノの組立で、なぜ自分が選ばれたかは分からない。当時の教えられ方は「ダンパーていうのはこうやって付けるんだよ、見てたやろ、やってみなさい」そして先生に見てもらう。するとチョークで印をつけられた。いっぱいつくのでいいのをつけたのかなと思ったら悪いところであった。

 

何が悪いのかを教えてくれない。教えてくださいといっても仕事は盗むものだと教えてくれない。やってる途中も見てくれず、結果だけを見てくれる。やってはチョークをつけられ悪いものはやり直すその繰り返しだった。ピアノと一対一でチョークが消えるまで1カ月間ぐらいかかった。そのとき「自分のピアノ」という気持ちになった。

●教えられている期間と任せられたと感じた時期は

その1台ができて、やっとラインの流れに入ってやってみろといわれた。しかし、実際に流れに入って取り付けてみると10本中2本しか付けられない。あせってしまって気持ちが乱れてできなくなってしまった。

 

さらにダンパーは70本ぐらいあるが10本ずつ担当して同じ所ばかりやると、音階によってつける感覚が異なるので、ただ取り付けるだけになってしまった。自分自身でやり直しはするがきっちり取り付けできるようになったのは4~5年目で、何も言われなくなった。ラインの中で全域ができるようになるまで8年かかった。他の人と比較しても「ここがちがうんだ」と自分なりに工夫するようになったのも8年目かな。チョークがつかなくなった頃、ちがう工程をやってみないかと言われた。そのとき任されたかなと思った。

 

●腕を上げるのに大切なことは

仕事が出来てくると一段ずつ後工程に進む。だから、一番後ろの工程にいる人はすごい人なんです。後ろの工程にいくほど素晴らしい人で人間的目標がずっと見えるわけです。ダンパーを着けているころ最後の総仕上げをする人とは話すことすらできなかった。神様みたいな人であった。そういう人に自分の取り付けたダンパーみられるのはとても怖かった。目標が目の前に見えていたから腕も上げれたと思う。

 

ダンパー取り付けを8年、修正をする仕事を3年、計11年やって、それぐらいから教えるようになった。そして指導員に承認された。昔やめた人だけれども、とても器用な人がいた。自分がどんなに急いでも50分かかるのを、その人は30分でできた。なんでかなあと思ってその人をよく見ると自分と全く違うやり方だった。「そういうやり方でいいの」と聞くと「結果が同じでしょ」と言われて、ああそうだなと思った。やっぱり工夫しないといけないなと思った。

 

それから互いに見たり聞いたりして、やり方を変えだしたのが23年ぐらいたってからかな。さらに、昔のピアノの構造はガイドレールが一体型であったため調整するのがとても難しかったが、これを分割することでより精度が上がり調整もし易くなった。こういうのはやった人でないとわからない提案で、「変えてやったぞ」という気持ちが沸いた。道具については当初は与えられた道具を使うだけで、変えたりしようものなら怒られるので我慢していた。それを変えられるようになったのは教える立場になってからで30年かかった。

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●教え方のこだわりは

人によって五感がそれぞれ違うので道具の重さや形状はそれぞれ工夫する必要があると思っている。作業基準書には勘コツは書いてないが、知識としてしっかり頭に入れてやってもらう。そしてマンツーマンで教える。ダメなものは、どのようにダメなのか、どうしたら良くなるのかを丁寧に教えるようにしている。自分が苦労した分、このほうが速く覚えられるし教えてもらう側も納得する。そして教えてもらう側は自分のメモをつくる。当時はメモを取ると「そんなものとるな」と怒られた。

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<後輩(29歳で経歴6年)>

●この仕事のきっかけと当時の教えられ方

音楽の仕事をする中に自分も入りたいというので入社して、この工程に配属された。入社したときに若い世代がいなかったので「難しい仕事だけど頑張ってくれ」と言われた。ダンパーの取り付けはとても忍耐力が必要で、このあたりが自分に合ってると思う。

 

まず基本に忠実にといわれた。ダンパー取り付けの基本動作をすべて説明してもらって、やっているところを見せてもらって、そしてやってみた。しかし、いきなりラインの流れでの作業となったが、やり難いので止まっている所で1カ月ぐらいやった。初めて全域のダンパーを取り付けができたとき、すごくうれしく達成感がわいてきた。さらに、つくった人の名前もマークするので「僕がやった」と商品に抱く気持ちがわいてきた。

作業で細かいところはいろいろあるが、ほぼ全て教えてくれるので、自分なりの応用をしている。道具も自分で工夫してつくる。今では仕事と改善はセットになってると思っている。

 

<伝承期間の短縮>

ダンパー取り付けにて先輩が8年かかったことを後輩の手塚さんは3年半。20年かかることを5年で伝承出来るようになった。会社としてはもっと短縮したいのだが先輩は最低でも2年はほしいと言っている。短縮するには方法だけではないがペアを組む相性がとても大切で、相性が合わないとダメなときもある。

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