物づくりの小話し、あれこれ(著者 小林弘司様)11~20

物づくりの小話し、あれこれ(著者 小林弘司様)11~20

11.1/100~1/1000

 分母は素材から製品になるリードタイム、分子は加工時間で、その比を表している。物によっては
1/10000だってありうる。
そうすると加工時間以外は何かということになるが、運搬・検査・停滞(在庫)である。
この数字をみれば、単に加工だけの効率を求めていても駄目なことが判る。素材から完成品になり、
お客様の手に渡るまでスルーでムダをはぶいていかなければならない。
 環価低減はその比を大きくすることだと言い換えて良い。

12.2:6:2

 2:6:2何の数字だ。
今10人の部下がいたとしよう、部下でなくて同僚でも良い。自分に付いてきてくれる人、あるいは
同じ考え方を持っている人が2人。反対意見の人が2人。どちらでも、誰でも良いという人が6人、
世の中の相場とはその程度のものである。
2:6:2なら良いほうで、0:8:2なんて状況があるかも知れない。
マネジメントというのは、2:6:2の6の人を前側の2にもっていくかということらしい。
8:0:2になれば、あとの2の人もしぶしぶ8に近づいてくるものらしい。この数字にこだわる必
要はないが、10:0:0 なんて自惚れないことだ。そんな人はめったといない。
  仕事を本気ですれば葛藤はつきもの。「好かれない人」のなかに案外本物がいるものだ。

13.岸壁に立つ

 もう、「後がないと思って」「背水の陣でとりかかれ」よく聞く言葉である・しかし1押しされた
り、一回の横風を受けただけで、岸壁から真逆さまに落ちてしまうような位置へ身を置くことは、な
かなか出来るものではない。
適当な緊張感を持って立てる位置はどこなのか、それを見極めることが必要だ。その位置(目標)は
上の人がしつかり掴んでおかないと、判断を誤る。
あのショップは安定している、あのショップはよく混乱する。前者の方が良いに決まっているが、安
定しているなら、1人省人したらどうなるか?、まだ安定しているならもう1人省人したらどうなる
か?、更に1人省人したらどうなるか?‥‥。改善しない限り、いつかは混乱するレベルに至るはず
である。
 安定しているのは、限りなく改善に挑戦しているか、始めから安全な位置で仕手をしているかであ
る。その位置を見極めることはかなり難しい。だから一度問題を顕在化させるレベル(1押しされる
位置)に身を置いてみることだ。
そこから、2~3押しされても良い位置へ戻せたら、それがそのショップの実力である。
それを繰り返し実施されると、本当に実力ある安定したショップだと言える。
 その立っている位置、動きをよ<みて、結果だけで判断しないことだ。安全な方へ身を置きたくな
るのが人情であるだけに、目標と評価は正しくありたい。

14.競馬のゴール

 競争馬の順位を見極めるには、パドックでは判らない。スタートの直後でも判らない。向こう正面
でも判らない。直接に入っても判らない。ゴール直前になると、だいたいのところはみえてくるが、
それでも確かではない。ゴールを過ぎたところでも、おおよその見当はつくが、正しくは判らない。
唯一、正しく判るのはゴールを通過する瞬間を見ている者だけである。
さらに際どい勝敗になると、ゴール真近かで見ている人しか判らない。
 現地・現物の重要さはここにある。
パドックは下馬評であり、スタートや向こう正面、ゴール直前は予測であり、ゴール後は推定である。
鮮度の落ちた結果のデータは、ゴールを過ぎたところで順位の論議をしているようなものだ。

15.たこペンド

  エキスパンションループ、俗称たこペンド。
これは、ガス配管工事などで、季節の温度差による熱膨張を吸収するために、蛇腹状に、丁度たこの
頭のような形で逃がしたクッションしろのことである。
その遊びがないと、夏は伸び、冬は縮んで配管に亀裂が生じてしまう。
 生産の仕組みもこれに似た部分がある。JIT(ジャスト・イン・タイム)といいながらも、そう
そうきっちり繋げるものばかりでない。工程内の少しの変化はクッションしろで吸収することがある。
必要最小限のたこペンド(工程内バッファ)を設定する技術が必要である。
通常の生産の流れのなかで、このたこペンドが、やたら多かったり、大きかったり、必要なところに
無かったりして、生産を阻害している例がある。

16.エイト

 ポート競技のエイトは、8人がバランスよく櫂を漕がないと、真っすぐ進まない。
一人だけ、抜群の腕力を持った人がいて、その人のべースで漕ぐと、場合によってはマイナスの働き
となって進まなかったり、横にそれたりする。
会社の仕事でも、チームワークでやらなければならないことが多い。自分の力を誇示してマイペース
で進めると優秀な人でもマイナスになることがある。
 本当に優秀な人は、仲間が弱った時に2人分の力が出せる人だ。

17.野球のルール

 プロ野球の試合時間が長いので、もっと短くできないかとある球団は考えた。
スリーアウトチェンジをシックスアウトでチェンジすれば交替時間が半減するという提案がでた。
でも、それでは、うまく割り切れないではないか?という意見がでた。
それにたいしては、1回だけスリーアウトにしたらどうか。いやいや試合時間を短<することが目的
なのだから、従来の9回戦を8回教にすればもっと良い。など多くの意見がだされた。
課題もあるので、次回まで各々で検討しておくように、ということで散会した。
 これだけの小話しではあるが‥‥。
①リーグという集団がなければ、1つの提案として成り立つ。しかし白球団の都合だけで、やってい
 けば、もう「めちゃくちゃ」になってしまう。生産でも、自分ところだけよければということで効
 率を求めると前後工程や他企業に迷惑をかけることがある。
 部品調達のかんばんの振れなどがその例である。
②その球団が人気、観客動員敷、資金力など、常にリーグリーダとしての実績を持つ球団であれば、
 この提案も実現させる可能性はあるかも知れない。
 それが、弱小でお荷物になっているような球団の提案ではテーブルにものせてもらえないだろう。
 改革は偶然では生まれない。実力を積み上げている者のみ実施できる。
③交替時の選手の全力疾走、審判に対する抗議の短縮、、交替選手の準備、その他ファールポールの
 処置、観客の警備体制、など常日頃から試合時間を短くするための努力を積み上げているかがまず
 大切なことである。その積みあげが実力である。
生産でいえば、上記のような「生産の基本」の部分を守らないで、試合時間を短くする(効率)だけ
を求めると「めちゃくちゃ」になって混乱してしまう。
 まずルール(生産の基本)をしっかり守ってから次ぎに改善・改革に進む。ルールも守れないで、
いきなり改革しようとしても決してうまく行かない。
始めの小話しのミーテイグも、いきなり改革論から入ったケースで、現状の改善努力の部分をスキッ
プしている。こんな会議もすくなくない。

18.じねんじょ(自然薯)

 野生の山芋(とろろ芋)のことである。
遠い、昔の話になるが奈良の三輪山で、自然薯を堀りだした経験がある。
まず、見つけるのが大変難しい。一緒に行った方がベテランであったので、なんとか見つけることが
できた。折れないように掘り出すのがまた大変であった。
埋まっているポイントから髄分離れた拉置から掘おこし始めた。取り出した時には、とてつもない大
きな穴ができていた。
形は、市場で売っているようなすらっとした長芋でな<て、曲がりくねった頑固そうな形であったが、
粘りがあって、比べようがないほど美味しかった。
地面を、極めて用心深くみないと気ずかないが、一旦見つけて掘り起こすと、味わえない味(成果)
がそこにあった。真因にせまる行為は自然薯堀りににている、苦労するものである。
自然薯は生産の場にも埋まっている。見つける能力と得るための努力が足りないだけかも知れない。
 改善にも2つの能力がいる。ムダを見つける能力と見つけたムダを排除していく能力である。
ムダを見つけられなければ、これはどうしようもない。見つけたムダを放っておくのはもっと始末が
悪い。2つの能力があってはじめて改善は進む。
ただ自然薯のようにベテランでないと、見つけられないということであっては仕事は困る。
素人でも、見つけられるようなツール(問題の顕在化)をはかることが必要であり、かんばん方式の
狙いもそこにある。

19.動くと働く

 一般的な見方として、Q・C・D・Sすべてを統括している製造課長は忙しい。
毎日の生産活動もあり、スムーズに生産できているかどうかも気がかりである。
そのうえ、管理部門からは、好むと好まざるにかかわらず、色々な調査があったり、報告を要求され
たりする。さらに色々な行事、イベントが舞いこんでくる。
月次の人の手当てもいる。会議だって出なければならない。
追い立てられたような日々が過ぎていく。たとえ課長が繁忙な日であっても、予定台数は確実に生産
される。他人からも「大変ですネ」という労いの言葉もある。
 しかし少し視点をかえると、自らがプラニングし実践しフォローした「仕事」があったのか?
あるいは課長にしかできない仕事はその内何だったのか?反省してみると考えこんでしまうことがあ
る。いまラインで設備トラブルがあり、ラインが停まってしまったとしよう。
さっそくラインヘ行き、応急処置を指示し復旧させることができた。これも立派な「仕事」である。
が…。現場へ課長が出てきたので、その下の職位の人が少し身をひいて指示を仰いだのかも知れない
し、課長がいなかっても、そう違わない応急処置をしていたかも知れない。
 大事なのは、その事故を現認し、再発防止の手を打つことである。
そのなかで課長としてやるべきことは何かを考え行動することである。
応急処置で、ラインが動いたことで満足してしまっていないか?
製造部の課長は放っておいても、他の人が「仕事(エサ)」を与えてくれる。もういらないといって
いるのに「食え、食え」と突っ込んでくる。思いきって吐き出してしまうことだ。そして自ら「エサ」
を捜さなければならない。
本当のエサを捜す苦労はともなうが、養殖の憂き目は見ない。
 仕事を与えられているレベルは「動き」かもしれない。
課題を見つけて、自ら仕事を創りだすのが、管理者の「働き」である。

20.10年後に花開<

 教育というのは、速効性に乏しいので、ついつい忘れ去られていく運命にある。
忘教育期間に育った上司を持つと、不幸である。
下の人が、上司を教育するなどということは、なかなかやれないものである。心の広い人なら、「彼
の方が優れているので、教わろう」ということになるのだが‥‥‥。
そんな例は極めて少ない。知らないところを聞くということだけで、「教わる」という謙虚な姿勢は
とれないのが普通である。
 今、教育したつもりでも、「花開くのは10年後」ぐらいに思って、地道に、こつこつとやってい
くのが教育である。
「生産の基本」についても、若い班長、若いスタッフに脈々と継承していこう。
 その人たちが、現場の監督者に、管理者に、あるいは会社のトップになった時、もっつと大きな花を
咲かせてくれる。

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