物づくりの小話し、あれこれ(著者 小林弘司様)1~10

物づくりの小話し、あれこれ(著者 小林弘司様)

私の尊敬する、元ダイハツ工業の小林弘司様の小話を連載していきます

1.カレーライスの注文

カレーライスの限ったことではないが、とある食堂へ行きカレーライスを注文したとしよう。しばらつして次の客が入ってきたて、その人もカレーライスを注文した。ところが出来上がってきたカレーライスは先客よりも、後から入ってきた客のテーブルに置かれた。もっと手間のかかる別の注文ならまだしも、まだしもふつうならあまり良い気はしない。急いでいる人や、気の短い人なら、不愉快さから店を出て行ってしまうかもしれない。そればかりか、もう二度とその店に行きたくないと思うかもしれない。このカレーライスを車と考えた時、順序でものを造る大切さがわかるはずである。たまたま、お客様が全国に散らばっていて、同じ店で注文していないから判らないだけである。

2.天王山トンネルの渋滞

  名神の天王山トンネルの渋滞は毎度のことで、そこを通過するとき、いつも生産の停滞とダブって
しまう。
トンネルに入っていく仕掛け(造り)の速さと、トンネルを出ていく引きの速さが違うために起こる。
トンネルに入ると危険を感じるため、スピードを落としたり、車間距離を自然と長く取るためで、
通常のところとトンネル内が異タクトになってしまっているのである。
一定の速度と正しい車間距離をとっておれば渋帯はない。
どうしても、トンネル内では、スピードを落としたり、車間距離を変えることが避けられない心理と
するなら、車線を一本増やして(設備能力を上げて)タクトを合わす必要がある。
 天王山トンネルほど条件が厳しくないのに、トンネルと変わらない生産をしているところがある。
前後工程でタクト差をつけているところなどはその例である。
一旦渋滞してしまうと、発進・停止の繰り返し(チョコ停)で、余分な停滞が起こる。

3.トンネルを越えると雪国だった

 トンネルを越えると雪国だった、川端小説の有名な一節であるが、これに似たようなことが、我々
の企業活動にある。今長い山間のトンネルがあったとしよう。
入る時の風景は、花が咲き乱れ、新緑豊かで、のどかな日差しがおちていた。
しかし長い長いトンネルは、ら旋状に登っていて、その長いトンネルを抜け出た時は、白い雪一色で
厳しい山間を走っており、外の景色はまったく変わっていた。
 一旦トンネルに入ってしまうと、外の景色は全く見えない。また山を登っていることさえ気づかな
い。外の風景が周辺を取り巻く環境だとすると、その違いに戸惑うだけである。
ちょうどトンネルのような仕事の進め方(繁忙の中に埋没していたり、企業内活動に留まり外部指向
が出来ていない)をすると、外の景色の変化にきずかずに的を外して仕事をしていたことになる。
トンネル内での仕事だけは避けなければならない。仮にひとときトンネルのような仕事に従事しなけ
ればならないとしても、厳しくなる条件の心がまえと準備が出来ていればトンネルを抜けだした時の
変化に驚くことはない。

4.鰯と鯖(鯰)

 海に出て、生きた鰯を持ち帰るには、生け捕った鰯の入ったかますに鰯より強い鯖(鯰であったり
する)を入れておくと、食べられてはいけない緊張感から逃げ惑い、港まで持ち帰れるという。
鰯だけだと緊張感もなく、狭いところへいれられて白い腹をだして浮いてしまう。
人を鰯にたとえるのは心苦しいが、鯖というインパクトを与えることも時には必要だ。緊急時(どう
しても今回は生きた鰯を持ち帰りたい)は鯖の役割を管理者や経営者はやらなければならない。
 鰯を追い立てられる強さを持つ鯖でなければその役割をはたせない。

5.指揮捧(タクト)と美しいメロディ

 オーケストラの一糸乱れぬメロディは美しくしかもダイナミックである。ところが各々の演奏者が
思い思いの速さで演奏したら、流れるような美しいメロディは誕生しない。へたをすると音合わせの
ような雑音にすら聞こえるかも知れない。
 生産もそうであって、各々の演奏者(各々の工程)が好きな様に物づくりをしていると、造り過ぎ
たり足らなかったりするはずである。美しき流れは出来ない。
指揮棒のことをタクトと呼ぷ。生産のタクトタイムもここからきている。指揮棒(タクト)に合わせ
て演奏(生産)しているから、美しい流れができる。
 タクトタイムにこだわる理由である。

6.激流に生きる

 予測しない洪水に見舞われ、激流を渡って安全な場所に避難しようとして、大勢の人が群がった。
ある人は家財道具一式、持てるものは手一杯に、着るものは着れるだけ着込んで渡ろうとした。
またある人は身一つで渡ろうとしている。
身一つの人は、身軽なだけに渡ることが容易であり、いち早く安全な場所に避難することが出来た。
ところが、前者の人は、荷物が多いだけに動きが緩慢で渡るスピードも遅い。
家財を捨て、荷物を捨て、着ているものも捨て悪戦苦闘した。しかし激流の速さに敗けて、身おも流
されることになってしまった。
 予測も難しい激流(不況)を渡るにはまず身軽になることだ。いま何が一番大切なものかを認識し
、決断・実践した人だけが、安全な場所を求めることができる。

7.チベットの山羊

 伝へ聞いた話しであるが、チベットの山羊は際立った岸壁の岩場に立ち生息する。
すこし登っては振り返り、また少し登っては振り返る。
前を向かずに、いつも過去を振り返っているような人の代名詞で使われているのだが、チベットの山
羊だけにはなりたくないものである。                    

8.水泳と陸上のリレー

 水泳のタッチは点である。それに比べると陸上のリレーは、バトンタッチゾーンがもうけられてい
る。そのリレーをうまくやることで、少し弱いチームであっても勝者になることがある。
タッチゾーンがあることで、前走者とスピードを合わせたり、前走者と次走者の力関係を補完し合う
ことができる。
組織がいくらしっかりしていても、なかなか水泳のリレーのような仕事の引継ぎはむつかしい。
 自分の仕事のスパーン+アルファの業務行動が必要だ。アルファを持たない人はセクショナリズム
が強い人ということになる。
力のない人は95m、力のある人は105m走ることができる。しかし力のない人もはじめから、
95mと思って走っているようだと話しにならない。あくまで100mの自分の責任分担は果たそう
としなければならない。結果として95mだったり、98mだったりするだけだ。
 次走者が更に弱い人であれば、その人が105m走ることだってある。

9.猿まねと工夫

 企業内の開発や創意工夫というのは、営利を目的とする粋がある限り、そうそう新しい材料や開発
工法が出てくるわけでもない。
またある企業だけが「車づ<リ」をしているわけでもなく、どの企業もどのセクションも、なんとか
安くて、良いものを、できるだけ速<と願って活動している。
そう考えると、9割は猿まねで良い。真似ることは「恥」ではない、一番効率のよい技術吸収策であ
る。ただ全部真似ているようでは、その相手に勝つことは無理だ。1割は独自の工夫がいる。
 自分の領域に閉じこもって「自分たちが、あるいは自分が一番すばらしい」と思っていることが一
番恐ろしい。真似る努力もしないで、改革・開発・工夫を唱えているばかりだと始末が悪い。
まず周辺をよく見て、百聞<一見、百見<一行、の姿勢で「良いことは素直に取り入れる」ことから
はじめなくてはいけない。

10.町内運動会

 上には上がいるものだ。町内運動会で一番足が速いといっても、府の大会や国体では、とんと歯が
立たない。国際レベルになると、日本一であっても入賞すらしない。あ~あ気が遠くなるほど上には
上がいるもんだ。わがダイハツの陸上部の女子達は別にして、ダイハツで第一人者と言われる人が、
世間でどれだけ通用するか、活躍できるかである。
ダイハツという看板を背負っていたため、あるいは組織の中の一人として通用しているだけかも知
れない。そう思うと恐ろしい。
まず「たいしたことない」という認識に立って(卑屈になれということではない)弛まなく通用して
いく力を養なって行くことだ。そして時折、世間のレベルに挑戦する機会をつくって他流試合をやれ
るといいのだが…。
 そんな風に考えると、「いばったリ」「過信したり」なんてとんでもないことだ。

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