2004年12月
派遣社員化がもたらすもの(管理監督者への影響)
著者: エイム研究所 矢野 弘
派遣社員を入れ始めたときは、例えば職場で2~3人の少人数から始めて教育にしても管理監督者はさほど負担は感じなかった。しかし、量変動に対応しようとしたならば正社員との比率を多くしないと効用が発揮しないため、じわじわと増やしてきた。
QCサークルを行おうとしても職場には20人もいるのだが集まると4~5人と正社員が極端にすくなく小集団活動すらできなくなってきた。指導のときにムダをみんなで認識しようとして「みなさん集まってください」というと「派遣もですか?」といい、ひどい場合は課長のみが正社員で部下は、みな派遣社員という職場もある。
「企業は人なり」と、いろいろな解釈はあるとしても人材育成は企業存続の最低行わなければならないことである。しかし、派遣社員一人一人は長期に勤める気が薄いため気に入らなければ直ぐに辞めてしまう。するとせっかく教育してもリセットがかかり、新たに入った派遣社員にまた同じ教育をしなければならなくなる。
ひどい場合だと1日で辞める場合があり技能や知識の積み重ねができず伝授できなくなる。教育する側の負担はますます増えてきて、それも同じことの繰り返しでレベルも前に進まない状態になり飽き飽きしてくる。さらに「どうせ直ぐにやめるのだから」といって教えるのにも身が入らなくなる。
技能や知識が習得しきれずに作業するとミスが多くなり不良をつくったりするので、任せる仕事は単純化させて与えなければならなくなる。すると仕事の流れが切断されて作業者間や工程間でムダが多く発生し生産性が落ち、リードタイムが長くなり納期に差し障りがでたり、仕掛や製品在庫が増えたりするのである。
量変動のための派遣社員化から、さらにコストダウンのための派遣社員化と称して外国人を採用する企業が多く出てきている。日本人にくらべ外国人は2~3割ほど安いため、この魅力にかられて採用を増やしている企業も多い。
外国人を教育するにあたり先ず障害となるのが言葉である。日本語が通じれば良いが通じなければ必死のジェスチャーや、その国の言葉で書いた指導書を作ったり、通訳を雇わないといけなくなる。言葉が通じなければ現物見本やマンガで表現しなければならず、かといって全て表現できるわけでも無い。
もし通訳や外部にたのんで標準書を作ったとしてもその訳し方かが合っているか、そもそも教える側は外国語を読めないのであるから確認のしようがない。たまたま雇った人に日本語が話せて通訳として教える時にその人を呼ぶと、その人の仕事が止まるので生産性は当然、落ちてくる。
教える人の負担は日本人を教えるのに比べて5倍もかかり、そのかけた5倍ものエネルギーも直ぐに辞めてしまうので維持できず10倍、20倍と管理監督者の負担は増していく。教えきれなくなると人の質と物や設備の質に伝播するので不良が多く、故障も多くなってくる。
不良が一度に沢山発生する要因となり、その作り直しや修正となると大きなコストと緊急対応を迫られる。その負担は技能や知識を持っている少なくなった日本人の正社員に頼られ、残業や休日出勤が多くなる。これではいけないと、より作業を単純化して工程を小刻みに分けて作業させると「7つのムダ」が吹き出るように沸いてくる。
外国の数としても1国(1言語)であるとなんとかこなせるかもしれないが 、ブラジル,アルゼンチン,フィリピン,中国,ベトナム,ホンジュラス,ロシアと多国籍に採用すると指導する側はたまったものではない。一国で一言語を日本人は当たり前と思っているが中国やフィリピンなどは数十言語ある。日本でも方言が分からないから、まったく言語が異なるとサッパリである。
指導者はいろんな語学を勉強するか、通訳を多く雇うかしなければならないし、指導書を作るにしても、いろいろな言語で表現しなければならず文字で紙が埋まってしまい、よけいに分からなくなる。へたなマンガで表現するにしても、知り過ぎている日本人では何が分からないのか分からないため、的外れな指導書となる。
また、作業の指導にしても身振り手振りでは動作は伝わるかもしれないが、標準の意味や守る大切さは伝えることはできない。派遣でくる本人は日本でお金を沢山稼いで帰りたいとして必死に習得ようとするため、一人一人をみると熱心さを感じて好感をもてるが、多人数の多国籍になると、職場として会社として収拾がつかない状態となる。
今は指導する側のベテラン正社員がいるので何とかこなすことができるかもしれないが、時間というものは容赦なく過ぎていき、入ってくるのは外国人や日本人の派遣社員であり、定年などで辞めていくのは技能,技術を持った正社員の日本人となる。いつのまにか現場はすべて外国人ということになってしまう。
あわてて正社員を雇い入れても教育する人がいなくて先輩はみんな派遣社員で、言葉の通じない外国人となる。このような状態になると企業としてはお終いである。お客が現場を見学にきたとき、このような状態をみると、とても不安となり製品を買いたくなくなったり、も仕事も頼みたくなくなる事でしょう。これで自主倒産した会社もある
今、追い打ちをかける現象がある。それは少し景気が上向いているので製造業など増員を図っている。企業としては景気が長く続くとは思っていないため派遣社員の増員となる。優秀な人は大企業のレートが高く福利厚生の良いところに流れて行くため、中小企業にはそうでないのがきてしまう。
母国語の文字が書けないのやら足し算引き算などの算数ができないのが入ってくる。そうなると指導する管理監督者の負担は悲惨なものとなる。それでさえ監督者の人材不足の中小企業には大きな負担となる。
確かに派遣社員は量変動に対応しやすいし、外国人はレートが安い。しかし、本当に安かったかは疑問である。特に命令や金勘定ばかりして、現場(4M)に気がいかない経営者はこのことに気づかない。短期的に便利なものは長期的に活用すると麻薬と同じで蝕まれてしまい、取返しのつかない体質になる。
●外国人派遣社員を雇った場合のコスト
①直接派遣費用+②現地の外国のマニュアル作成費用+③日本人よりかかる教育時間+④通訳を頼む費用+⑤通訳がわりの先輩派遣社員費用+⑥コミュニケーション不足によるトラブル費用(正しく教えたと思っても間違ってしまった)+⑦成長しないロス(本にもその気にならないし、会社の期待もない)+⑧改善しないロス+⑨再教育費用(直ぐに辞めて再度かかる費用)+・・・
派遣社員化がもたらすもの(経営者への影響)
著者: エイム研究所 矢野 弘
<雇用する経営者側>
最近では、以前にまして、製造現場に派遣社員が増えてきた。経営側の利点として、労務費の低減や注文量の増減に対応するために製造現場を変動化させたいという手段でかなりの会社が進めてきている。
ひどい場合は係長か課長のみが正社員で部下の作業者は、全員が派遣社員にという職場もある。派遣社員を入れ始めたときは、試みで二三人採用して教育し正社員なみに仕事をしてもらおうともくろんだのである。最初は教育する管理監督者にとっては少人数なのでさほど負担は感じなかった。
しかし、安くて便利だとして、正社員と置き換えるように増加していくことになった。最近は、景気回復もあって、どの会社も採用し始めたので人員不足となってきている。やがて簡単な作業ならば日本人より外国人のほうが安いため日系人や日本語の通じない外国人を採用しはじめることになる。
派遣社員であると量の変化に応じて簡単に人員調整ができ、派遣本人もそれを覚悟できているため正社員の解雇ほど、もめごとは少ない。ところが、この特徴を頻繁に使うと経営者は量が減っても死に物狂いで仕事をとってくるということをしなくなる。変動費として扱えるので利益を大きく左右する事は無いだろうとして気を抜いてしまう。すると量変動のリスクを回避する便利な仕組みを確立した分、そのリスクを解決する能力が経営者として衰えてくる。
逆に多量の仕事や突然の仕事も、お客に頼まれれば「ノー」と言えず引き受けたり、他社に取られるのが怖いため安易に仕事を取ってきたりする「断るのを怖がる」習慣が経営者に身につきだす。
基本的な、雇用の継続的創出につながる新たな仕事を生み出すという努力をもしなくなる。すると仕事の創造というセンスを磨くことをしなくなるため経営者としての資質,品格が衰えてくる。安易な簡易リストラは麻薬である。これは製造現場からじわじわと経営者にまで汚染されてきている。
とくに外国人派遣社員を主で雇わないとコスト的に合わない状態になることは、言い返せば日本という地で日本人を正社員として雇用できない経営になってしまっていることである。つまり日本で商売をする資格なくなったということである。
中国にいけば中国の人を雇って商売,アメリカではアメリカ人を雇うのが当たり前である。現地の人を雇用するのは、その国で商売する約束手形である。
次回続きは
派遣社員化がもたらすもの(管理監督者への影響)