著者: エイム研究所 矢野 弘
背景
半導体装置で使われるの樹脂継手を生産している。一見どのようにして加工するのか分からない複雑な形状の図面ばかりである。
<先輩(49才,経歴30年)の話>
家業で10年、前の会社で10年、今の会社で10年である
●仕事を始めたきっかけと当時の教えてもらい方
自分の親が昭和2年からやっていて、鉄工所の隣に住んでいた。最初に教えてもらったのは父親なんです。子供のころからこの仕事をやるつもりでいたので、専門学校に行った。子供のころは車やバイクの改造で楽しんで、ものづくりの面白さを知った。それが仕事になったのは20代初めからである。
最初にいきなり「この汎用旋盤をあげるから」と親から与えられた。2年間やった後「そろそろNC旋盤いこうか」「今まで汎用旋盤でやってきたことを数字に置き換えたらNC旋盤は動くんやから」と言われたのを一番覚えている。
父親はNC旋盤からいきなりやってはだめ。削り方も分からないのに動かし方だけ知ってもだめだと言われた。父親から直接教わったのは基礎だけで、削るということはどういうことかを教えられた。
困ったときは気軽に相談に乗ってもらえたし、人のやってることを見て盗んだ。反抗期というものはなかった。今の業界はマニュアル化されているが、それがかえって弊害だと思う。
今は結果を出すだけの技術になっている。ちょっと形が違うだけで全く違うものととらえられてしまう。
●教えられていると感じた期間と任されたと感じた時期は
教えてもらっているなあと思ったのは3年間ぐらいであるが1年目くらいから簡単な仕事を任され始めた。次第に、図面を見たら加工のイメージが「ピン」とわいてくるようになった。しかし、できるかできないかの五分五分の時は始め安全策をとるが、できそうだと分かると全く加工方法を変えて削ったり刃物を自分でつくってしまうこともある。
●腕を上げるのに大切なことはなんですか
図面を見て「ピン」とくるまでには経験を積まないとできないでしょう。もう一つ他社の見学をすると思ってもみなかった発見がある。見たときはすぐに役立つわけではないが後々「ピン」とくるときに見たことが頭にでくることがある。ものづくりは「まずやってみる」ことから始めるのがいい。するとつくるのが面白くなる。
自分の工夫したジグや刃物を他の人が使う場合があるが、刃物の形とか、なぜこんな形になったのかの背景もていねいに書いておく。私はいつもオープンにしている。
●教える立場になってからのこだわりは
家業の10年目から前の会社に入った時、いきなり教える立場になった。しかし同じものをたくさん作る職場だったので、ものづくりの工夫する面白さ技術技能の伝承というものはあまりなかった。しかし、納期の厳しさは教わった。
父親の教え方は割と理屈で教えてくれた。今考えたら、ありきたりなことを言うていたと思う。日高精工に入ったときも教える側であった。難しい仕事を受けた時は、先ず自分でこなしてみる。自分で刃物や加工方法を工夫し、それをいつも絵に描いている。しかし部下と一緒にやることはない。
自分で何回かやったら部下に何回か繰り返してやらせてみる。そのうち新しいもので「自分で最初からやってみろ」とやらせる。自分の知識を与えるのではなく、その人のやり方を工夫させる。自分の発想とか創意工夫することができないとダメである。
2~3年も同じことをやっていたら、その仕事は向いていないと思っている。自分自身、創意工夫がなくなると「自分には向いていないなあ」と思もい辞めるつもりである。
改善するということは当然で、前と同じ時間で加工していることは自分としては仕事ではないと思っている。ただこなしているだけだと思う。一秒でも速く削るには、ちょっとでも工夫することが大切だと思っている。
難しいものを加工するとき、特殊な測定器を使わないと測れないような加工方法ではだめだと思う。ノギスで測れるような加工をしていくことが技量向上につながると思っている。
五感の中で大切なのは音とか操作ハンドルから伝わってくる震動の感覚だと思う。加工中に音や振動が変わるのを気づくことが大切である。他の人がやっていても、変わった音がすると止めにいくことがある。削りはじめたときは目を優先させるが微細な加工では音や振動を頼りにする。とにかく教え方は課題を与えて工夫させるような教え方である。そしてそれから興味を持ってもらうことを優先してる。一番影響を受けたのはやはり父親です。
これを旋盤で削る
削り方の工程設計と刃物の設計
工夫された姿バイト