会社は「志」を試す場である(創業時の精神をなぜ伝えるのか)

著者: エイム研究所 矢野 弘

新入社員も5月になると念願の会社に入って雰囲気にも慣れたころである。また、逆に来年卒業予定の学生は希望の会社に入るために就職先を探して決めるのに四苦八苦し始めるころである。会社というものは就職する側からすると「入る」という感覚である。また会社側からすると「入れる」感覚である。

 

それはすでに会社というものが先に存在していているからで、そのため人は後から入るのである。そのため、入社することが目標となる場合がある。しかし、ところが創業者からすると創業時は会社などは無いのであるから先にあるのは人であるため、入社するというイメージではない。ましてや入ることが目的・目標とされてはこまるのである。

 

創業とは、こうゆうことをやりたい、こうなりたいとそれを夢として狙いを定め、それを実現するために天から使命を受けた如く業(苦労)を行うことである。そのための手段として人,金,物,設備,土地を集めて会社という社(やしろ)を創るのである。

 

創業者からすると会社をつくることが目的ではなく、「志し」を試す「場」であって手段である。ところが後から入ってくる人は「場」とは思っていなく、雇われている感覚で見るため会社そのものを目的とすることが多々ある。そのため会社のなかでは「会社のために・・・」という価値観で考え行動するようになる。入社からこの感覚で永く勤めて管理職になり後から入ってくる人に「会社のために・・・」を要求すると創業時の精神は無いに等しくなる。

 

創業者や後継者は創業時の精神,志しをことあるごとに継承していかなければ集めた人,金,物,設備,土地はばらばらになる。「企業は人なり」というが人は人についていくのではなく人の持っている夢に着いていくのである。例え上司でも社長でも夢を持たない人には着いていけない。逆に新人でも夢を持ち努力している人には自然と人が集まってくる。支援援助するかのごとく。

 

創業した頃の精神や志しを継承するといっても「初心に戻る」ということではない。時はすでに永く経っていて会社も発展しているのであるから、初心というリセットを掛けてはいけない。継承するものは「創業時の所信」、すなはち自分(創業者)が信じ考えていたところの信念を貫くことである。

 もし、年月が経ち創業者の信念があやふやとなっていたならば、創業者を良く知る人に会って素直に耳と目をかたむけることである。亡き人ならば良きも悪きもすべて感銘をうけことでしょう。

 

 

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