お札(お金)にお礼 

著者: エイム研究所 矢野 弘

●お酒では解消しない
 人にはそれぞれ気に入った人と、そうでない人がいる。もし気に入らないお客が来店したり、合いにいく場合に気に入らないのを顔や言葉に出してしまうと、そこからの商談はおしまいである。いつも好みのお客と接するとは限らないし、きらいなタイプのお客からよってくる場合もある。

 そのため、作り笑顔でも対応しないと商売がうまくいかないので、心では我慢が必要である。そうゆう我慢の連続であるとどうしてもウップンが溜まり、表情や言葉に出てしまいがちである。お客に当たる事は出来ないが、かといって同僚や部下に当たり散らすと、今度は自分自身が嫌われる人になる。

 

仕事が終わって今日のウップンを晴らすために夜の街にでかけて気の合う仲間と一杯飲みに行くのも良いが、やはりスッキリと晴れる事は無い。こうゆうウップンの晴らし方では、飲みに行った先のお店や付き合った人にウップンを移す事になり、環境汚染をばらまくのと同じになる。

 お酒の力で解消できるくらいなら、世の中の悩みは直ぐに無くなってしまうし、医者も要らなくなる。飲み過ぎで別の医者のお世話になる事はあるかもしれないが、やはり、仕事のウサは仕事で晴らさないと解消はしないのである。しかし、そうはいっても、そんな起用な仕事はなかなかできないのが大半である。

 

●直接的にお客と接している人に、ちょっとした解消方法を教えます
 どんなお客に対しても、売れた場合や仕事が取れた場合は、どうしてもありがたい顔をして、頭を下げてお礼をしなければならない。

 これができないと営業は失格であるが、かといってファーストフード店みたいに心の無いマニュアルじみたお礼で、「ありがとうごさいます!」というと、逆に嫌な気分を与えてしまう。「だれでも同じか・・・・」、「特別な人ではないのだな」となる。

 

たとえば有名なファーストフードに毎日通って「いつものを下さい」といっても、「いらっしゃいませ、当店でお召し上がりですか・・・何に致しますか・・・」と、決してお得意さんの対応にはならない。「のっぺらぼうの顔でもいいのかい!」と言いたくもなる。

 心を入れるといっても、お客の顔(特に目)の表情を見ながらでないと気持ちのキャッチボールはできはしない。かといって数多く接するお客の顔を瞬時に受けて笑顔と言葉を返せるのは大変であるし、逆にお客から顔(目)を見られて表面的な対応であると見抜かれては、目と目を合わす事は恐怖となる。

 

そこで、お客の顔をお札に印刷してある福沢諭吉や夏目漱石であると思い見るのである。すると、あら不思議と微笑んで、お辞儀をしたくなるのである。私の所に大勢多の福沢諭吉さん(一万円札)がいらっしゃったのであると思うと、顔もほころび深々とお礼を思わずしてしまうのである。

 「ようこそ福沢諭吉殿、どうぞ奥へとお入りください。ゆっくりして、くつろいで下さい」と買ってもらわなくても言葉も出てしまう。どんなに気に入らないお客でもお金を払って頂いたかたは、みんな福沢諭吉や夏目漱石さんである。

 

なぜ貨幣やお札に人物画を描くのかの理由は各国さまざまであると思うが、必ずといっていいほど人物が描いてある。逆にもしかして、先程、私が言った通り、どんなお客でも福沢諭吉と思わせるためではないのかと勘繰るが、いかがであるかな。

 「お札」と「お礼」はよく似た字なので前後工程かもしれない。とにかく一度、試してみて下さい。その時の感想を「言いたい放題」に記述して頂ければ面白いと思います。

ページ上部へ